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2025/07/31 17:19

1. ジェラートに感動した本当の理由

初めてイタリアで本場のジェラートを食べたとき、「うまい!」という感動以上に、どこか心が揺さぶられた感覚があった。
それは味のクオリティの高さだけではなかった。
街の中に自然と溶け込んでいた「ジェラートという存在」に、僕は惹かれたんだと思う。

観光地にある特別なスイーツじゃなくて、日常の延長線上にある“ちょっとした喜び”。
それこそが、イタリアにおけるジェラートの立ち位置なんだと、あとになって気づいた。


2. ジェラートが“街の風景”にある国

イタリアを旅して驚いたのは、朝からジェラートを食べる人がいるということ。
カフェでエスプレッソを飲むように、ジェラートをひとすくい。
家族で歩きながら,恋人とベンチに座りながら,友人との食後に散歩をしながら

どこの町にもあるジェラテリアには、観光客だけじゃなく地元の人が絶え間なく訪れていた。
それはまるで、「今日は何味にしようかな?」という小さな選択が人生を豊かにするという文化だった。

子どもからお年寄りまで、世代を超えて同じカウンターでジェラートを楽しんでいる光景。
あの空気の中にこそ、ジェラートが“文化”として生きている理由があったと思う。

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3. 甘さより“余韻”。日常に寄り添う味わい

イタリアのジェラートは、地域ごとにその設計思想に違いがあるのも魅力のひとつです。

たとえば、ローマを境に北へ行くほど、ジェラートは比較的甘さ控えめで軽やかな傾向があります。

一方で、南イタリアへ行くと、よりしっかりとした甘さやコクが好まれる場面が多い印象です。


でも、どちらのスタイルにも共通しているのは、「甘さそのもの」よりも、「食べ終えたあとの余韻」を大切にしているという点。


濃厚だけど重くなく、素材そのものの香りや余韻を味わうようなジェラート。

食べたあとに、もう一度スプーンを口に運びたくなる“リズム”がある。

それは、毎日でも食べられる設計でありながら、味わいが記憶に残るように作られているということなんだと思います。

そしてその背景には、PACやPODといった数値の理論も確かにあるけれど、

「文化としての食体験」を届けるための手段として、それらを使いこなしている職人の感性がある。


イタリアのジェラート職人たちは、数値に支配されるのではなく、“感じてもらう余韻”のために数値を使っている。

僕はそこに、職人としての美意識を感じました。



4. R65がめざす“文化のあるジェラート”

伊豆高原でお店を構えたとき、僕は決めていたことがある。
それは、「観光地のアイスクリーム屋さん」で終わらせないということ。

地域の素材にこだわるのも、レシピに手間をかけるのも、
ただ美味しくするためじゃなくて、その素材が持つ物語や空気を“文化として味わってもらいたい”から。

ゆったりした時間の中でジェラートをすくって、素材や風景に思いを馳せてもらえたら──
それは、イタリアで感じた“ジェラートのある風景”にきっとつながっている。

「またあの味が食べたくて来ちゃった」
「なんでもない日に、ちょっとR65寄ろうかな」
そんな風に思ってもらえる存在でありたい。


5. ジェラートが繋いでくれる未来

ジェラートは、ただの冷たいお菓子じゃない。
人と人、人と土地、人と自分の“感情”すら繋いでくれる文化の媒介だと思う。

僕がイタリアで感じた“ジェラートのある日常”を、伊豆高原でも少しずつ形にしていけたら。
そうやって、静岡の素材や空気と一緒に、R65らしい文化を育てていきたいと思っています。